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注目の新作ムービー「ア・ビューティフル・デイ・イン・ザ・ネイバーフッド」

注目の新作ムービー

柔らかな語り口で真実に向き合う

A Beautiful Day in the Neighborhood
邦題 ア・ビューティフル・デイ・イン・ザ・ネイバーフッド

1968年の放送開始から2000年まで続いた児童向け長寿番組「Mister Rogers’ Neighborhood」を背景に、番組司会者であるミスター・ロジャースとジャーナリストの出会いの実話を元にしたヒューマン・ドラマ。見終わって、これほど清々しい気分になったのは久しぶりのことだった。

雑誌『エクスワイヤー』誌のベテラン記者、ロイド・ヴォーゲル(マシュー・リス)は、編集長からフレッド・ロジャース(トム・ハンクス)のインタビューを命じられる。たった400文字の短い記事、しかも関心のない子ども番組の司会者への取材に嫌々向かったヴォーゲル。だが、ロジャースと会ったとたん、何か心に痛みを抱えているのではないですか、と優しく指摘される。調査報道を専門とする硬派のヴォーゲルは、彼の指摘に反発。だが、何度かロジャースと会ううちに、長年見ないようにしていた父への激しい怒りと向き合うことになっていく。

実際の番組を、米国に来た頃に見たことがある。私もヴォーゲル同様に懐疑心が強いほうなので、ロジャースのソフトな語り口と善意の塊のような登場人物たちの非現実性にタジタジとなって、敬遠したひとりである。ところが本作を見た後、ロジャースが出ている動画をインターネットで探し、次々と観ている自分がいた。実在のロジャースに強い関心を持ったのだ。

中盤でロジャースがヴォーゲルに「1分間だけ、自分を愛してくれた人を思い出してみて」と言うシーンがある。画面には内観するヴォーゲルの静寂の1分間が映し出され、気が付くと筆者も彼と同じ1分間を過ごしていた。映画館内もシーンと静まり返り、多くの観客が同じ時を過ごしている気配。長い1分だったが、豊かな1分でもあった。

神学校で学んだロジャースだが、神や許しといった宗教色のある言葉を使わずに、キリストの教えを実践した人ではなかったか。彼と出会った人々が皆、自分だけを見つめ、話を聞いてくれたと感じたという逸話も伝わるが、きっと本当なのだろう。ロジャースは、子ども番組ではタブーとされてきた戦争や暗殺、離婚、死などについても取り上げた。柔らかな語り口だが、真実に向き合う姿勢は真摯で鋭く、躊躇がない。ヴォーゲルが長年まとった怒りの鎧を解くことができたのも納得であった。

ハンクスは自分なりのロジャース像を作り上げ、まさに適役。リスは強面のジャーナリストの顔にかすかな痛みをにじませる会心の演技を見せて本作を牽引した。監督は40歳の女性監督、マリエル・ヘラー。前作「Can You Ever Forgive Me?」(邦題「ある女流作家の罪と罰」)でも主人公の心理変化を丁寧に追って、映画的でない物語を映画として見せる才気を発揮している。本作でもそんな彼女の演出力が見事に生かされた。

A Beautiful Day in the Neighborhood
邦題「ア・ビューティフル・デイ・イン・ザ・ネイバーフッド」

写真クレジット:Sony Pictures Releasing

上映時間:1時間49分

シアトルではシネコンなどで上映中。

映画ライター。2013年にハワイに移住。映画館が2つしかない田舎暮らしなので、映画はオンライン視聴が多く、ありがたいような、寂しいような心境。写生グループに参加し、うねる波や大きな空と雲、雄大な山をスケッチする日々にハワイの醍醐味を味わっている。