約10年前、在シアトル日本国総領事館勤務時に、レセプションで招待客を案内する私を見つけた日系2世の知人が声をかけてきた。杖をつきながらつらそうに「武田さん、年は取るものじゃないよ」と言っていたが、最近になってやっとその意味がわかってきた。いつ頃からか「よいしょ」のかけ声なしに椅子から起き上がれなくなったのもその一例か。
自分がシニアになったと認めている訳ではない。シニア扱いが好都合なら素直にその「資格」を活用するだけだ。初「シニア」体験は55歳の頃。シアトルの病院で検診後に訪れたカフェテリアで、レジのおばさん職員から「あなたはシニア?」と聞かれたのだ。今のように白髪も目立たなかったであろう自分にはまさに青天の霹靂で、しどろもどろの返答をしたのだった。
同じ頃、「55歳以上」と銘打ったボーリング・トーナメントを知り、同年配のパートナーと、自分たちはこの年齢層なら最年少だからと、早くも勝った気持ちになって登録したこともあった。シニアの試合に参加はするものの、自分がシニアだとは全く思っていなかった。「Sir」付けで呼ばれ始めたのもこの頃だ。
60歳になると友人たちが還暦祝いをしてくれた。若い頃は、還暦を迎えたら立派な「老人」と思っていたが、いざ自分がなってみるとその意識はない。むしろ昔より健康になっているし、年寄りではない、と信じていた。一方で職場では仕事のペースが落ち始め、日本で続く経済不況のせいか増えるノルマをこなすうちに、ストレスがたまっていた。酒を飲むと頭痛になり、肉体の老化を初めてはっきり感じた。「あと3年頑張れば定年退職」と自分に鞭打ち、とうとう迎えた最後の勤務日、40年近く勤めた職場のドアを閉めると、大きな存在が消え去った気がしてうろたえた。退職後の自由時間をどう過ごせば良いのか不安だったが、ストレスがなくなり健康が戻ったおかげで、ピックルボールや社交ダンスの新たな趣味にめぐりあえた。65歳という「お墨付き」のシニアになると、今度は褒美のごとく割引がいろいろもらえるようになった。
特権を楽しむと同時に、健康維持費はかさむ。白内障手術費など西洋医学分野の治療は州政府の保険がカバーするが、処方箋、補聴器、歯の治療、眼鏡やコンタクトレンズ、カイロプラクティック、セラピーなどの治療・厚生費が加齢と共に膨れ上がる。比較的健康でいられた退職後5年間の「シニアの蜜月」が、あっという間に過ぎ去りつつある。あと8カ月で70歳の私を待ち受けるのは、自動車や旅行の保険料値上がり。保険の旅行関連項目は70歳で無効になる。もう旅に出るなということか。
まだ若いと思いたい頭の中と、周りからのシニア扱いとの狭間で揺れる私。やがて訪れる人生最終章に備え、今の生活水準をできるだけ維持しなければならない。諸先輩方から知恵を授かりたいと思うこの頃である。
[カナダで再出発]