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シアトルのインターナショナル・ディストリクトを飾る壁画群

日系アーティスト、作品に思い込め
シアトルのインターナショナル・ディストリクトを飾る壁画群

シアトルのインターナショナル・ディストリクトで、暴動から店を守るために店頭に木板が打ち付けられた後、店主たちは次に何をすべきかと考えました。日本町の工房アット・ヒゴでは、鳥居と共にブラック・ライブズ・マター運動を支持する声明が描かれていました。

取材・原文・写真:デイビッド・ヤマグチ 翻訳:長井智子(羅府新報)

※原文の英語記事は『北米報知』2020年7月17日号に掲載。

日本町があるシアトルのインターナショナル・ディストリクト/チャイナタウン(CID)では、多くの商店が2020年5月のジョージ・フロイド事件に対する平和的な抗議デモに便乗して暴れる犯罪者の略奪に備えて、店頭のショーウインドウに板を打ち付けた。被害に遭った21店舗と、次は自分の店が被害に遭うかもしれないと恐れる近隣の店の板塀対策は、暴徒の標的にされているCIDを支援する地元のコミュニティー・グループとシアトル公共事業局が無料で提供した。現在も、CIDの店頭は板が打ち付けられたままだ。

店主たちはアーティストたちの助けを受け入れた。打ち付けられた無垢(むく)の木の板をキャンパスに、約100枚の壁画を描く時間が寄付された。壁画は街を際立たせ、居住者と街の訪問者に希望を与えている。

工房アットヒゴの店頭に木板に描かれた鳥居のアートとブラックライブズマター運動を支持する声明

日本人、日系米国人、あるいは日本関連の店舗やビルで、どのような壁画が描かれたかを調べてみると、半世紀ぶりと言われるこの都市の混乱の只中で、アーティストやビジネス経営者が前向きに前進している道筋が見え、価値ある状況を認めることができた。新型コロナウイルスの外出自粛で家にいる多くの人々が見ることができない、「はかない芸術」だと言うこともできよう。

まず、今ではCIDに残っている日系のビジネスがごくわずかであることは特記する必要がある。過去数十年の間に、家族経営のビジネスのほとんどは代替わりをせずに閉店した。経営者たちは子どもを育て上げるという人生の目標を達成し、やがてリタイアして店を閉じた。子どもたちは、限られた利益しか生まない店の経営よりも、自分たちの前に広がるより大きな機会に向かって前進した。

私が調べた10店の日系店では、ほとんどの壁画は単に実用的な作品だった。板で覆われた店の名前と、店が営業中であること、それに、営業時間を知らせる内容。壁画の作品の出来栄えは基本レベルという程度。2020年6月14日付の『シアトル・タイムズ』紙にフランクリン高校の生徒の参加が紹介された記事があったが、なるほど、大方の作品は、それが高校生を動員したコミュニティー・プロジェクトであることを示唆している。

和食店まねきの窓には地元で愛されたコミュニティーオーガナイザーの故ボブサントス氏左と自警団の故ドニーチン氏が描かれている

だが、特に目を引く2つの壁画の物語は興味深い。1つ目は、HTクボタ・ビル(6th Ave. S.とS. Main St.角)にある額装店、アートフォームの壁画。2つ目は洋装店のモモ、ギフトショップの工房アット・ヒゴ、飲食店のかなめが入るジャクソン・ビル(6th Ave. S.とS. Jackson St.角)の全体に広がっている作品だ。アートフォームの壁画は、20世紀初頭の白黒写真を基に日系1世と2世をペンとインクで描いたプロのアーティスト、ミシェル・クマタさんの作品だとひと目でわかる。

クマタさんによると、この作品はアートフォームと同じビルにあるWkndスタジオのクリスタ・トーマスさんがコーディネートしたという。同ビルには他にも、ブライアン・オーノ・ギャラリー、ダダダ・ギャラリー、つくしんぼレストランなどが入っている。トーマスさんとクマタさん、2人のアーティストが協力してデザインし、ボランティアがペイントを手伝った。トーマスさんは、建築スタジオからクマタさんの作品の大型コピーを得られるように手配した。完成には約1週間を要した。

アートフォームの壁画は文字を使わず、無言で作品がメッセージを語っている。アジア系米国人である私は、私のように見える人物の絵があまりにも少ないので、この壁画に気持ちが高まる。外を見つめる静かな顔はこう言っているように見える。「私たちも人種差別を受けてきた。私たちは、ここにいる」 クマタさんは以前、『シアトル・タイムズ』紙のグラフィック担当や、ウィング・ルーク博物館の展示ディレクターなど、長年にわたり芸術的な「日中の仕事」に就いていたアーティストだ。

モモ、工房、かなめレストランに広く広がっている壁画は、肖像画とメッセージだ。最近亡くなった黒人の市民たちの肖像画。また、そこには鳥居で囲まれたパブリック・メッセージがある。

「日系米国人のコミュニティーは、第二次世界大戦中の日系人への大規模な投獄に対して日系人と共に立ち上がった黒人、茶色の肌の人、先住民らの兄弟たちと揺るぎなく連帯する。われわれはアジア系米国人がこれまで白人至上主義に加担したことを認め、進行中の解体運動に尽力する。アジア系米国人の行動主義は黒人の行動主義に深く影響を受けてきた。その借りを返す時が来た。全ての人々の解放を達成するために、われわれの強さと特権を使用することを約束する。BLM。黒人の命は大切」

宣言のあとには、名前が続く。ジョージ・フロイド、ブレオナ・テイラー、アーモド・アベリーから始まり、エミット・ティル、マーティン・ルーサー・キング牧師、マルコムXまで、83人の名前が列記されている。

額装店の店頭で日系移民をほうふつさせるアート

メッセージを鳥居で囲むことの重要性について不思議に思って、インターネットで鳥居についてどのように書かれているかを調べてみると、「鳥居は、神社の入り口で最も一般的で伝統的な日本の門で、俗界から神域への移行を象徴する」とあった。

壁画の背景をもっと知るために、私はエリン・シガキさんにメールを送った。壁画にシガキさんの署名はなかったが、人づてに彼女の作品だと聞いていた。奇しくも、ベルビュー・カレッジにあるシガキさんのパブリック・アートが汚されたことがニュースになっていた。

シガキさんは主にグラフィックデザイナーとして生計を立てているが、シアトル市芸術文化事務所主催のパブリック・アート講習を受け、数年前からパブリック・アートの仕事を始めたという。「私は日本人の強制収容に関する作品を制作するためにジャクソン・ビルの所有者であるムラカミさん兄弟や、『デンショウ(伝承)』など、コミュニティーから多くの支援を受けている」と話す。

「だからムラカミさんから板で打ち付けた建物を扱って欲しいと頼まれて、すぐに快諾し、チームをまとめた。自警団によるアーモド・アベリーの殺害の後、私はブラック・ライブズ・マターの壁画を作成するための壁を探していたのでタイミングは完璧だった。ムラカミさんは、材料費やスナックなどの費用、助手への報酬を支払い、労働力を提供してくれた。私にも数百ドルの謝礼を払うと主張したけれど、それは黒人の活動団体に寄付するつもりだ。制作には完成まで丸3日かかった。多くのコミュニティー・ボランティアがいなかったら、実現できなかっただろう」

3店の日本語看板と米国の公民権メッセージの並置は視覚的に驚くべきものである。見る者の足を止め、考えさせると同時に、精神を高揚させる。

この2つの壁画には2つの教訓が現れている。

まず、公共の壁画を必要としている建物やビジネスのオーナーが、確立されたアーティストに制作を依頼することは、おそらく価値がある。プロのアーティストには複雑なプロジェクトをタイムリーに完了するための才能とネットワークがあり、店先を際立たせることができる。また、優れた作品はメディアに取り上げられ、ビジネスに有益となるかもしれない。

次に、インターナショナル・ディストリクトの多くを占める単純な壁画と比べて、この2つの壁画は、あとから落書きされたりしていない。見事なパブリック・アートだけを残すことが暗黙の了解であるかのように、汚されることなく、輝いている。