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第6回 アメリカで根をはるということ〜シアトル徒然〜りんりん日記より〜


第6回 アメリカで根をはるということ

1月中旬のある日、変わり映えしない曇り空に慣れ始め、いまだにクリスマスの装飾が輝く住宅街のなかで、アメリカで生活するということについて考える。

移民大国であるアメリカで生き残っている移民は皆、家族の支援が手厚いか、血のにじむような努力をしてきた人だと思う。環境は人の背中も押すし、孤独にもさせる。支援にしろ、自分の努力にしろ、自分がなぜここにいるのか、その理由がわかる人たちにもまれて同じ環境で生きていると、繰り返し自問自答に陥っては、長い夜に溶けてしまう日が続いていた。

どちらもない私は、アメリカにいる資格があるのだろうか。

12月に1年ぶりに日本に帰省して、たくさんの友達と会った。みんな悩みを抱えていた。悩みの重さはそれぞれだけど、それでも彼らは身分のことを心配する必要がなく、たとえ明日仕事を失っても、生きていく国土を心配する必要がない。どうぶつの森のBGMが自然と脳内で流れ始め、私はよくないとわかりながらも彼らがほんわか生きているようにどうしても思えて仕方なかった。

好きな生活をするのにはそれぞれ代償が伴う。私は安心感と引き換えに、何を選んだんだろう。預金残高を見ながら、自分の孤独の市場価値に思いをはせた。大人気漫画「呪術廻戦かいせん」の中で、主人公の虎杖いたどりが他人の魂と体を共有する存在であるがゆえに自分の魂の形を常に自覚しているという描写があった。それと同じように、他国で硬い土に根をなんとか延ばしている私たちもまた、自分がどこまで根を張れているのかを常に自覚させられる。花が咲くまで下に一生懸命根を延ばしたいと決心するときもあれば、諦めて土の栄養となってしまいたいときもあった。そうやって繰り返しすり減っていく中で、自由を求めていたはずなのに、本当の自由とは何だろうと自分さえも見失いそうになる。孤独と、毎日の気合と、自覚が肥料となり、水となり、自由の花を咲かせる日を信じるしかない。

ニーチェの言葉を借りるなら、「踊る星を生むには、心に混沌こんとんを持っていなければならない」。

星一つ見えないシアトルの空をみあげながら、徒然と、夜の焦燥に駆られて。

りんりん
中国生まれ、日本育ち。大学卒業後、カナダで10キロふっくらしたのち2025年シアトルに移住。子どものころの夢は女優、中学校の時に自分の顔面偏差値を自覚し断念。フワフワ愛猫2匹のために今日も奮闘中!