シアトルの夏が終わる。街からは日の光とともに観光客が消えゆき、冷たい風が吹き始めた。ロサンゼルスから半袖で降り立った同僚は、上着を調達するためにその足でユニクロへ向かった。
シアトルの秋から冬は雨が多く、しかも長い。それ故なのか、この街は人の入れ替わりが早く、多くの人がここを中継地点と考えているように思う。留学生、駐在員、出張などによる短期滞在者、祖国に帰る夢を抱く者――。この街を故郷と呼ぶ声を、私はほとんど耳にしたことがない。
アメリカの9月は、日本でいう出会いと別れのある4月。またたくさんの顔が入れ替わった。新しい風が吹くエメラルドシティーで、私もまた意図せぬ自分との出会いを迎えていた。芯が通った子だといわれ続けて24年。環境に流されず、強く意見を持てる人間だと調子に乗り始めていた。そんな折、親知らずの抜歯を控えていたときのことである。
親知らずを抜く決断をしたのは、ずっとしたかった矯正のためだった。抜歯を終え、説明を受けに向かうと、差し出された選択肢はワイヤーかマウスピース。矯正中に口元からワイヤーが見えるのは恥ずかしいと思い、「歯の裏にワイヤーをつけるタイプはできますか?」と聞くと「アメリカにはそのタイプはないよ。恥ずかしいことじゃないし、みんな逆に見せたがるんだよ」と驚きの返答が。矯正のワイヤーが見せたいほどかっこいいものだという価値観に初めて触れたと同時に、さっきまで感じていた恥ずかしさが薄れていくのを感じた。自分の感情が外的環境・要因によっていとも簡単に変えられていく瞬間だった。かたくなと信じていた自分の芯が思いのほかもろいことを知り、歯医者帰りの足取りは少し重かった。
人はいつの時代も、他人という鏡を通して本当の自分を見る。不意に映った自分の本心に驚き、失望することもしばしば。今回の自分には特にがっかりした。「流行に流されず、自分の感情に正直でいる」という現代の風潮に流され、そこに気付いてまた悩む。20代は悩みの種が尽きない。
腫れる頬を押さえながら、3杯目のおかゆをかきこむ。シアトルの冬が始まる味がした。















