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::新連載:: シアトル徒然 〜りんりん日記より〜 第一回 忘れられる覚悟で奮闘中

第一回
忘れられる覚悟で奮闘中
シアトルに引っ越して1カ月ほど経った頃、ようやく仕事が見つかった。日本語と中国語のクラスがあるプリスクールの教員である。

中国生まれで7歳のときに日本に引っ越し、大学までそこで教育を受けた私は、日本の教育方針が大嫌いだった。みんなと同じ行動をしろとプレッシャーをかけてくる教師や、「空気を読め」と言ってくるクラスメートたち。「大人になったらわかるよ」と幾度も言われたが、その言葉さえ嫌いだった。そんな気持ちがわかるような大人になりたくなかった。

だから初出勤の日、「子どもたちがのびのびと個性を発揮できるように関わろう!」と心に誓い職場に向かった。教室に入ったその瞬間、アップルウォッチのアラートが鳴る。泣いている子ども、騒いでいる子どもに対して、先生も負けじと大声を張り上げている。まさにカオスそのものだった。私は何もできず、教室の端っこでその光景に圧倒されていた。子どもってこんなにやんちゃなの? と思いながら、いや、幼少期の自分はもっと落ち着いていたはず、と信じたい……なんて気持ちがよぎり、目の前の状況をのみ込めずにいると、突如、女の子にプロレス技をかけられた。疲労困憊こんぱい

子どもたちは本当に元気だ。一人が何か違うことを始めると、それまでちゃんと座っていた子たちもつられるように動き出す。仕事を始めて数日で、初日の誓いはすでに揺らいでいた。子どもたちにはのびのびと過ごしてほしい。でも、きちんと座って話を聞いてほしい場面もある。その両立は、思っていた以上に難しかった。授業中に遊び始める子を前に、いつしか同調圧力に屈してほしいと願う自分がいた。「どうして座らないといけないの!?」と叫ぶ子に「みんな座って聞いているでしょう?」と口にしそうになったとき、はっとした。嫌っていたはずの日本の教育が自分の中に染みついていたのだ。被害者ヅラしていた私自身が新たな被害者を生もうとしていたのだ。

きっとかつての先生たちも本当は同調圧力なんて使いたくなかったのだろう。大人になって、そのことにようやく気付き、苦笑いしながら思う。結局、みんなその方法が楽だったからそうしていたのだ。今、同じ立場に立たされた私はどうすればいいのか。楽な道を選ぶのか、新たな被害者を生まないよう闘うのか。立ち向かいたい気持ちはあった。でも、果たしてその労力は報われるのだろうか。記憶力に自信がある私ですら、自分の幼稚園の先生の顔は思い出せない。きっと、この子たちも成長すれば、私のことなど忘れてしまうだろう。精神をすり減らしてまで、自分の存在をいずれ忘れ去るであろう子どもたちのために、どこまで頑張れるのか。合理的に考え、ため息をつく……。今思うと、その時点で答えは出ていたのだと思う。やっぱり私は胸を張って「先生です」と言いたい。そして過去の先生や日本の教育に向かってこう言いたい。「大人になったらわかるって言ってましたけど、私はその道を選びませんでしたよ」と。

今日も自分にそう言い聞かせながら、職場へと向かう。そして、どうしても思い出せない自分の幼稚園の先生の姿を、今日も心の中で探している。その人がいたという事実に少しだけ慰められながら。

 

りんりん
中国生まれ、日本育ち。大学卒業後、カナダで10キロふっくらしたのち2025年シアトルに移住。子どものころの夢は女優、中学校の時に自分の顔面偏差値を自覚し断念。フワフワ愛猫2匹と可愛い園児のために今日も奮闘中!