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体験談 「私は乳がんサバイバー」

女性の命を守るヘルスケア Vol.22

アメリカ生活中に乳がん、卵巣がん、子宮がんを経験する患者の心に寄り添い、悩める女性たちをサポートするSHARE 日本語プログラムによる寄稿シリーズ。現在のアメリカの医療制度で今、日本人の私たちができることを探ります。

第22回 体験談 「私は乳がんサバイバー」

今回は実際に乳がんを乗り越えたサバイバー、小杉祐子さんに自身の体験を紹介してもらいます。

2014年11月、私は間違いなく健康だった。だって、ニューヨーク・シティー・マラソンを自己ベストの3時間10分で完走できたのだから。
なのに、2カ月も経たない12月31日の大晦日に、乳がんと宣告された。「冷静にならないと」と、自分に言い聞かせても、次から次へと涙がこぼれ落ちた。
2015年1月初旬、乳腺外科医から、現在の状態と今後の治療の流れを説明された。乳がん経験者や医師をしている友人たちからアドバイスを受けていたこともあり、落ち着いて話を聞けた。自分の乳がんは初期のものであり、切ってしまえば、終わりだと信じて疑わなかった。
しかし、検査が進むにつれ、状況はどんどん悪化した。私の乳がんは「トリプルポジティブ」という種類で、抗がん剤治療が必要。しかもそのうちのひとつ、ハーセプチン(分子標的薬)治療は3週間に1回を52週間、つまり1年間も続けないといけないという気の遠くなるものだった。さらに、全摘手術後、微小なリンパ転移が判明したため、より強い抗がん剤を使用することが伝えられた。

数カ月前まで健康だったはずなのに

通院を重ねるごとに、どんどん病気が悪化しているような錯覚に陥った。「もう無理!」、「もう嫌だ!」、なんとかここまで頑張ってきたけど、どんなに頑張ったってどうせいつか死ぬんだし、もう苦しい治療なんてしたくないと、全ての治療を拒否したくなった。
そんな時、乳がんサポート団体であるJapanese SHAREの愛子さんと話す機会に恵まれた。
「祐子さん、“キャンサーギフト”って言葉、知ってる?」
私のネガティブな気持ちを聞き続けてくれた後、愛子さんに尋ねられた。「がんからの贈り物って意味ですよね?」
「そう、がんになった人だけもらえるギフトのことよ」
がんになったからもらえるギフトなんてものがあるのか? そもそも、そんなギフト欲しいのか?ギフトというからには、よっぽど、すごいものなんだろうな? そうじゃないとがんと引き換えなんて割に合わないよ……。
「どんなギフトなんですか?」と、いぶかしい気持ちで聞いたら、こう答えられた。「それは、治療を乗り越えた人にしかわからないのよ」
絶句した。もらえる内容次第で今やるべきことを決めようとしていた自分にとって、この答えは衝撃だった。だけど、同時に、その正体を知りたくてたまらなくなった。

絶対乗り越えて、キャンサーギフトをゲットする

その瞬間から、私は変わった。治療に前向きになれた。もちろん、辛い瞬間も苦しい時間もたくさんあった。だけど、キャンサーギフトのために「今」を乗り越えた。
そして、どうせ乗り越えないといけないのなら、「楽しく乗り越えてやる」と思い、手始めに数種類のウィッグを買った。ブロンドボブやピンクのロングなど、地毛ではできない髪型と色のウィッグで毎日を楽しんだ。
会社を休職したので、平日の散歩を日課にした。抗がん剤で身体が弱り、走れなくなったので仕方なく始めたことだったが、走っていた時には気付かなかった景色に数多く出合えた。
「あぁ、私はなんて美しい世界に生きているのだ!」
今まで住んでいた世界が、全く違うもののように感じられるようになった。見るもの全てが輝いて見えた。
7月、副作用の強い抗がん剤治療が終わり、ハーセプチン治療と放射線治療だけになると、かなり身体が楽になっていった。もちろん、足裏にしびれを感じたり、膝に力が入らなかったりはあったけれど、それでも、ゆっくり走れるようになった時、うれしくって仕方なかった。走るってこんなに気持ちいいものだったっけ? 身体が喜んでいた。
そして11月、私はまたニューヨーク・シティー・マラソンのスタートラインに立った。まだ、ポート(中心静脈から点滴を行うために皮下に埋め込む機器)が着いたままだったけれど、ブロンドボブのカツラをかぶり、ミツバチのコスチュームでニューヨークの街をブンブン駆け抜けた。街中が私を応援してくれた。
昨年のタイムよりずっと遅い。でも、昨年よりずっと生きていると感じた。そう、これがキャンサーギフト。今、私は生きている。それがギフト。

乳がん治療中にニューヨークシティーマラソンを完走した祐子さん

小杉祐子■乳がんサバイバー。長距離ランナーとして、直近では2021年11月のニューヨーク・シティー・マラソンとフィラデルフィア・マラソンを、2022年に入ってからは4月のボストン・マラソンを完走している。また、Japanese SHAREのアクティブボランティアとして、ウェビナーのMCやファシリテーターを務めるほか、患者とサバイバーが参加するJapanese SHAREランニング部でも活躍中。


SHARE 日本語プログラム

ヘルプライン:☎347-220-1110(月~金6am~2pm)
問い合わせ・患者サポートミーティング申し込み:​admin@sharejp.org
詳細:https://sharejp.org

1976年にニューヨークでスタートした非営利団体のSHAREキャンサー・サポートが母体。同団体の正式日本語プログラムとして、アメリカで暮らす日本人、日系人の乳がん、卵巣がん、子宮体がん、子宮頸がん患者およびその家族の精神的不安を取り除くためのピアサポートと、米国医療事情を日本語で提供。

1976年にニューヨークでスタートした非営利団体のSHAREキャンサー・サポートが母体。同団体の正式日本語プログラムとして、アメリカで暮らす日本人、日系人の乳がん、卵巣がん、子宮がん患者およびその家族の精神的不安を取り除くためのピアサポートと、アメリカの最新医療事情を日本語で提供する。