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体験談「普通の人々、普通の暮らし、普通の人生」〜女性の命を守るヘルスケアVol.29

女性の命を守るヘルスケア Vol.29

アメリカ生活中に乳がん、卵巣がん、子宮がんを経験する患者の心に寄り添い、悩める女性たちをサポートするSHARE 日本語プログラムによる寄稿シリーズ。現在のアメリカの医療制度で今、日本人の私たちができることを探ります。

体験談「普通の人々、普通の暮らし、普通の人生」

今回は、第 22 回(2022 年 7月22日号)に掲載した乳がんサバイバーの小杉祐子さんによる体験談の続編です。

キラキラ輝いて見えていた世界が、いつからどんよりとしてきたのだろう? たぶん、フルコースの乳がん治療(外科手術、抗がん剤治療、放射線治療)を終え、残すところホルモン治療だけになり、1年半くらいが過ぎた頃だろうか。

半年間の休職期間を終え、カツラで職場復帰をした時の気持ちをよく覚えている。ドキドキとワクワク、まるで新入社員のような新たな気持ちで仕事に臨んだ。がんになる前は、人生を無駄に使っているような気持ちになっていた単純な作業でさえ、「生きているからこそできること」に感じ、全てが有意義に思えた。きっとその頃は、オフィス内でポジティブオーラを出しまくっていたとの自負がある。

CSR(コーポレート・ソーシャル・リスポンシビリティー)関係のボランティア・リーダーになり、企画を打ち出すところから始め、実行に移した案件がNPO団体から「今年いちばんの貢献者(会社)」として表彰されたりもした。しかしその頃、脳を含めた自分の身体の機能が、想像以上に「ぶっ壊れて」しまっていることにも気付かされることが多々あった。

「ケモブレイン」という言葉をご存じだろうか? ケモセラピー(抗がん剤治療)による副作用の一種で、記憶力や集中力の低下などが起こる。これが、びっくりするレベルで覚えていないのだ。 他人との会話、その出来事を含め、読んだ書類、自分がやった仕事まで、あらゆるところで「記憶にございません」という事態が発生し、周りに迷惑をかけ、仕事の失敗につながり、何よりも自分の脳を信用できなくなった。そのことを想定し、一緒に仕事をするメンバーに、「私が忘れている可能性あるから、変だと思ったら言ってね」とは伝えていたものの、やはりそれが発生するたびショックを受けずにはいられなかった。

また、その頃は身体的にも影響が残っていた。抗がん剤治療で抜けてしまった髪が、期待したようには戻らなかった。同時に、女性ホルモンを抑える治療を続けなくてはいけないこともあり、生えてくる髪の毛は頼りない細さで、前頭部は地肌が透けて見えた。落武者状態の自分の姿を鏡で見るのは相当つらく、鏡を見なくなった。

見かけだけでなく、身体の機能の障害も明らかになっていった。がん治療前は、その当時の国際女性ランナーのレベル(フルマラソンを3 時間 15 分以内で完走)だったので、いきなりは無理でも、3 時間半を切って走れるくらいまでは戻れるだろうと期待をしていた。だが、3 度チャレンジしても無理だった。以前と全く違う身体になっていることを嫌でも思い知らされた。

心肺機能の低下もだが、筋肉や関節などの障害が激しく、脳から送る信号を身体がうまく受け取れないのか、よくつまずいたり転んだりしていた。手術をした右側は常にバランスが悪く、ちょっとしたことで腕や肩が故障する。いろいろなことができなくなってしまったことを自覚させられる日々だった。

しかし、それと反比例するように、周りは私ががん患者だということをどんどん忘れていき、「がんなのに頑張っている」と配慮することも次第になくなっていく。でも、現実は甘くないことを私は知っている。常に思い知らされ続けているから。キラキラしている世界は、死を意識した自分が抱いた幻想の世界だったのかもしれない。

今、がん治療開始から7年が過ぎた。ケモブレインは2、3年くらいで消えたように思える。小説を集中して読めるようにもなった。最近の記憶障害は、普通に加齢から起こる程度だ。身体は、あっちが治ったら、こっちに問題発生という感じで、「ああ、お年寄りがよく言うのは、こんな感覚なのね」と思う。やや人より早く年を取らされている感じは否めないが、上手に付き合っていくしかない。

そして、今の私の世界は、キラキラに見える時もあれば、どんよりの時もあるといったところ。きっと、人生とは、そんなものなのだろう。それが、Ordinary People(普通の人々)の生活であろう。そして、それが実はいちばんなのだと、私は知っている。

乳がん治療中にニューヨークシティーマラソンを完走した祐子さん


小杉祐子■

乳がんサバイバー。長距離ランナーとして、直近では2022年4月のボストン・マラソン、 10月のロンドン・マラソンに続き、11月のニューヨーク・シティー・マラソンで12回目の完走を果たしている。また、Japanese SHAREのアクティブボランティアとして、ウェビナーのMCやファシリテーターを務めるほか、患者とサバイバーが参加するJapanese SHAREランニング部でも活躍中。


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1976年にニューヨークでスタートした非営利団体のSHAREキャンサー・サポートが母体。同団体の正式日本語プログラムとして、アメリカで暮らす日本人、日系人の乳がん、卵巣がん、子宮体がん、子宮頸がん患者およびその家族の精神的不安を取り除くためのピアサポートと、米国医療事情を日本語で提供。

1976年にニューヨークでスタートした非営利団体のSHAREキャンサー・サポートが母体。同団体の正式日本語プログラムとして、アメリカで暮らす日本人、日系人の乳がん、卵巣がん、子宮がん患者およびその家族の精神的不安を取り除くためのピアサポートと、アメリカの最新医療事情を日本語で提供する。