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時代をつなぐシアトル日本庭園の魅力〜シアトルの知恵ノート

知恵ノート

知っておくと暮らしが豊かになるヒントを、シアトルで活躍するさまざまな専門家の方に聞きます。

時代をつなぐシアトル日本庭園の魅力

ワシントン大学シアトル・キャンパスの南、ワシントン・パーク植物園内にあるシアトル日本庭園。誰もが楽しめる季節折々のイベントで、アメリカにいながら五感を通して「日本」を体験できます。

飯田千絵■環境デザイン会社で7年勤務後、ウエスタン・ワシントン大学でアートの学士号とエドモンズ・カレッジで園芸学の準学士号を取得。シアトル日本庭園のプログラム・マネジャーとして、アート、植物、日本文化を通じ、人と人、人と環境とのつながりの大切さを伝える。

シアトル日本庭園
Seattle Japanese Garden 1075 Lake Washington Blvd. E., Seattle, WA 98112
ciida@arboretumfoundation.org
www.seattlejapanesegarden.org

シアトル日本庭園の沿革

1960年設立のシアトル日本庭園は、第二次世界大戦後にアメリカ西海岸に造られた歴史ある日本庭園のひとつ。北米で高く評価され、毎年10万人以上が世界各国から訪れます。60周年を迎えた2020年には外務大臣表彰を受けました。

地元住民にも深く愛されるシアトル日本庭園の歴史は、1909年に開催されたアラスカ・ユーコン太平洋博覧会にまでさかのぼります。日本パビリオンの日本庭園が注目を浴びたことをきっかけに、造園計画が持ち上がりました。1935年には、ワシントン・パーク植物園がオープン。シアトル日本庭園は、第二次世界大戦を挟み、アーボリータム財団と東京都公園緑地部長から指名を得た井下 清、飯田十基の設計・監督の下で造園が進められ、1960年に運営を開始しました。

景観が物語る人々の思い

雑木の庭の創始者である飯田は、日本から遠く離れたシアトルでも、現地に存在する風景を生かした景観を創作。木々の一部には周囲の林にあるものを選び、近辺の山々で見つけられる石を使用することで、園内のどこを訪れても落ち着ける庭園に仕上げたのです。

飯田は「日本庭園は造るより、できたものを育て管理していくことのほうがよほど難しいのです。私たちはこれを造りました。しかし、これを育ててくださるのはあなた方です。どうぞ今後の管理をよろしくお願いします」と、関係者に言葉を残したそうです。当時の写真と見比べても、園内の通路、灯篭、月見台、藤棚、石の配置はほぼ変わりません。当初の思想を残そうと管理に気を配る、シアトル市公園局の歴代担当者たちの強い意志が感じられます。

誰もが日本文化に出合える場所

©Aurora Santiago

2009年には、彫刻家のジェラルド・ツタカワ氏によるブロンズの門や複合建物が増築され、新しく中庭、集会室、トイレも備わり、さらに多くのイベントが開催できるようになりました。1959年に東京都から寄付された茶室は、1973年の放火により焼失してしまったのですが、1981年に裏千家の寄贈により再建。今では4月から10月までの週末、一般客にも開放されています。

入園無料の毎月第1木曜日は、誰でも無料で押し花、生け花、書道に親しめ、毎月行われる土曜日の「ファミリー・サタデー」では午後2時まで12歳以下は入園無料となり、折り紙、ちぎり絵、織物などを家族みんなで楽しめます。季節の行事も多数。7月の七夕には毎年たくさんの短冊が園内の笹に飾られ、独特な習慣が国籍、年齢を超えて共有されます。9月のお月見、10月の紅葉狩りにも大勢の人々が足を運びます。ほかに音楽や踊り、俳句のコンテストなどもあり、園内は年間を通してにぎわいを見せます。


誰もが日本文化に出合える場所

近年、人種差別の問題がますますクローズアップされ分断が進む中、他国の文化と芸術を身近に感じ、理解を深められる場所は貴重。これからも、シアトル日本庭園が現地に住む日本人と日系人にとっての心の故郷であり続けること、アメリカと日本の文化の懸け橋となることを願ってやみません。

また、どんな理由であれ、心の和を必要とする方々にとって、いつでも癒しを得られる場所となるよう、庭園を守っていけたらと思います。皆さんもぜひ、なつかしい日本の風情にあふれるシアトル日本庭園へお越しください。