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桜と紡ぐ半世紀祝50周年! シアトル桜祭・日本文化祭〜特別レポート

桜と紡ぐ半世紀 祝50周年!
シアトル桜祭・日本文化祭

取材・文:フォーリー由香

春はシアトルの地でも日本同様、ふわりと咲き誇る桜をあちらこちらで目にします。恒例の「シアトル桜祭・日本文化祭」が4月11日から13日にかけて、シアトルセンターのアーモリー・ホールとフィッシャー・パビリオンで盛大に開催されました。シアトル在住歴の長短を問わず、今一度、桜祭の歴史を振り返ってみましょう。

桜祭の原点

今年で記念すべき50周年を迎えた桜祭は、シアトルセンターで年間を通じて開催されるおよそ25の世界の文化紹介シリーズ「シアトル・センター・フェスタル」の中で最古の歴史を誇る。その起源はアメリカが建国200周年を祝う1976年にさかのぼる。当時、日本の内閣総理大臣だった三木武夫元首相が日米友好と日本からの祝意のしるしとして、桜の若木1,000本をシアトル市に寄贈した。併せて、シアトル日系人会、春秋会、ワシントン州日米協会の3団体からは石灯籠3基、シアトル日系人会からは記念碑1基が贈られた。その返礼として、ウェスリー・ウルマン元シアトル市長の要請により、桜が植樹されたレイク・ワシントン湖畔のスワード公園で記念祝賀式典を開催したのが桜祭の原型だ。1979年に会場をシアトルセンターに移し、今日に至る。そんな桜祭を支えてきたのは、理事会及び企画委員会の委員長を45年間務めてきた佐々木タヅエさんだ。夫の豊さんとともに、数時間の祝賀式典から3日間の祝典へと発展させ、この春は過去最高の2万7,000人以上が来場した。

スワード公園にある石碑には三木武夫元首相の筆文字が刻まれている

三木武夫元首相とシアトル

徳島県出身で第66代内閣総理大臣の三木武夫元首相は、戦前から国際協調と対話による平和主義的な外交に重きを置き、日米開戦に反対した数少ない政治家の一人である。青年時代に海外を巡った国際派政治家としても知られ、1932年から1936年にかけてアメリカに留学。シアトルにも滞在し、現存するシアトル最古の日本食レストラン「まねき」で皿洗いをしていたという逸話が残る。1,000本の桜を寄贈する前年、1975年には日米首脳会談のために訪米しシアトルにも立ち寄っている。その際、本誌の姉妹紙『北米報知』では、「米国留学中に困難に直面した若き日の三木武夫が、シアトル在住の同郷人の助けを受け学業を続けることができた」というエピソードが紹介された。

会 場 が シ アトル セ ンタ ー に 移 っ た 1979年 の「鬼太鼓座おんでこざ」による太鼓演奏

昨年の秋、本誌発行人のトミオ・モリグチが徳島県を訪問していた際、偶然にも選挙活動中の三木武夫氏の孫にあたる高橋永え い氏に遭遇するという出来事があった。世代を超えた縁を想起させる不思議な巡り合わせは感慨深い。高橋氏はその後、徳島県第一区で圧倒的な支持を集め当選を果たした。

偶然の出会いに笑顔を見せる髙橋永氏とトミオ・モリグチ。名刺を手に挨拶を交わす場面

当日の祭り会場

箸づかいの器用さを競う催し「箸技」(旧称「箸りんぴっく」)。2002年撮影

例年通り盛大に開催された桜祭。3日間のスケジュールが掲載された北米報知の号外が、インフォメーションカウンターで配布された。アーモリー・ホールのメインステージでは、和太鼓や柔道、剣道、空手のパフォーマンスや各県人会の発表が、フィッシャー・パビリオンのステージでは生け花や紙芝居が披露された。両ステージの周りは大勢の見物客でにぎわい、その光景が強く印象に残った。日本食の屋台も出店され、兵庫県のマスコットキャラクターの「はばタン」も登場! どのブースも来往する客で活気に満ちていた。シアトルを代表する日本文化の祭典である桜祭。日米友好の象徴として、今後も継続してほしい。

フィッシャー・パビリオンのステージにて日本の創造神話の紙芝居が披露され、この後も続々と人が集まった

フォーリー 由香
2023年からシアトル在住。アウトドアもインドアもいけるが、風呂なしキャンプだけは苦手。バケットリストは、象に乗ること、ノーマン・ロックウェル美術館に行くこと、モアイ像を見ることなど更新中。