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父性愛〜みきこのシリメツ、ハタメーワク

みきこのシリメツ、ハタメーワク

父性愛

ピンポーン! 幼なじみのヒデちゃんが来た。「20年前にお世話になったお礼を言いたい」と伝えたら、訪ねて来てくれたのだ。

私が中学生の頃、近所に住んでいたヒデちゃんは高校生だった。個人的に話したことはあまり覚えていないが、父とはうちの前を通りがてら、挨拶をしていたようだ。父は家の前を通る子どもならみんな知っていた。

約20年前、一家で一時帰国をして都内に4年ほど住んでいた時、ヒデちゃんを偶然見かけた。

「ひょっとして、ヒデちゃん?」

高校を卒業してから30年も会っていなかったのによくわかったものだが、都議会議員をしている、とのことで頼みごとを思い付いた。アメリカ生まれの息子を都立高の帰国子女枠で受験させたいのだが、断られたのだ。「帰国子女枠というのは、海外に転勤等で移住した男性会社員の子女で、これまでに1件だけ、フランスに移住した画家の息子というのが例外としてある」とのこと。

早速、副都心のヒデちゃんのオフィスで教育委員会の方3名と直接話す機会を設けてもらった。

「父親だろうが母親だろうが、どんな目的で海外に移住したかは、子どもにとっては何の責任もなく、ただ『転勤』ではないとの理由で、行きたい高校の門が閉ざされてしまって良いものでしょうか?」

「普通に5教科の受験をすればいいでしょう。または私立を受けるとか」

「日本語はシアトルで毎週土曜日、補習学校に通っていただけなので、5教科は難しいし、そのための帰国子女枠なのではないのですか?」

「お母さまのおっしゃることはよくわかります。ただ、これは法律なので、われわれはそれを守るしかないのです。ではこれで失礼します」

「ちょっと待ってください! ではその法律を変えるにはどうしたら良いのですか?」

「それは、こちらの先生に伺ってください」

とヒデちゃんを指さして、あ然としている私を残しさっさと退場してしまった。

その後、その年のみ都内の4校だけは例外として認めるとのことで、息子は帰国子女枠で国際高校を受験し、無事入学できた。ヒデちゃんは都議会を通し、国会でも満場一致の決定で、高度成長期の海外転勤を奨励するために設けられた当時の法律を、現状に沿って改定すべく動いてくれた。夏には「正式に法律が変わりました」との連絡が入った。1998年のことである。

2000年にはアメリカに戻り、早20余年。そして日本に帰国。あの4年間のことをいろいろ考えていたら、ふと、ヒデちゃんにきちんとお礼を言っていなかったのではないか?と思い、連絡を取ったわけだ。当時、同性愛者などの人権問題もサポートしていたが、難病の息子を抱えて18年。今は議員を辞任している。

「お子さんの世話、大変ね」と言うと、

「でも、いちばん辛いのは本人だから」と、割と笑顔で言うヒデちゃんに、親であることの年輪と、ちょっぴり苦悩を乗り越えた優しさが見えた。

東京都出身。2000年から2005年まで姉妹紙『北米報知』ゼネラル・マネジャー兼編集長。「静かな戦士たち」、「太平洋(うみ)を渡って」などの連載を執筆。2020年11月に日本に帰国。同年、著書『ゼッケン67番のGちゃん』を刊行。