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川の流れのように〜シニアがなんだ!カナダで再出発

在シアトル日本国総領事館に現地職員として39年間勤務した後に、2013年定年退職した武田 彰さんが綴るハッピー・シニアライフ。国境を超えるものの、シアトルに隣接する都市であるカナダのバンクーバーB.C.で過ごす海外リタイアメント生活を、お伝えしていきます。

川の流れのように

「人は同じ川に二度足を踏み入れることはない」古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスは、そう語って万物が常に流動し変化し続けていることを説いた。川そのものが変わりゆくのみでなく、そこに足を踏み入れる人も変化を繰り返すのだという。
私が昔住んでいた町にも川や海があり、我が人生に付き添ってくれた。滋賀県朽木くつき村から流れる「安曇川あどがわ」のある故郷では、子どもの頃の夏、父の経営する会社のブルドーザーで川をせき止め、浅瀬に跳ねるアユを手づかみして河原で焼いて食べた。今思えば、おそらく違法漁獲だったのだろうが、1950年代当時、田舎人の営みにはさしたるおとがめもなく、楽しい思い出の一つとなった。秋には台風が到来し、川はたびたび氾濫した。町境には「鴨川」があり、夏になると竹馬の友らとカブトムシ獲りやタケノコ掘りに行き、川でおぼれかけ、窮余きゅうよのもがきを経験したこともあった。
幼い頃、母に連れられて訪れた琵琶湖そばの養魚場。特産の淡水魚「モロコ」を育てていたと記憶している
大学進学を機に京都市内へ引っ越し、目にしていたのは2つの川。偶然にも同名の「鴨川(下賀茂神社以北では賀茂川と表記される)」と並んで、京都の中心部と伏見を結ぶ物流のために開削かいさくされた風流な「高瀬川」があった。のちに知ったことだが、私がヨーロッパへ発つ前夜、引き留めるべく尋ねてきた父と兄が、がんとして聞かぬ自分に掛け合った後、鴨川の堤防脇で再び談義。彼らが私の離日を「仕方がない」と受け入れた場所でもあった。
さて、アメリカへの入国審査が厳しくなった4月初旬、ひるむことなくシアトルの友人の誘いにのりミシシッピ川が流れるルイジアナ州とミシシッピ州を訪ねた。その下流域には、かつてのアメリカの華やかなるも悲しい歴史を思い起こさせる建物が多く残る。
ミシシッピ州ナチェズ市から眺めたミシシッピ川。観光客に人気の外輪船「スチームボート・ナチェズ」は、ミシシッピ川を象徴する蒸気船の一つ
たとえば同川がメキシコ湾に注ぐ港町ニューオーリンズ。先住民、フランス人、スペイン人、クレオール(フランス人と奴隷であったアフリカ系アメリカ人とのミックス)、さらにフランス系カナダ人やアフリカ・カリブ海から連れてこられた奴隷たちが交わり、一種独特の文化が形成された。多様な背景をもつ人々は、驚くほど人懐っこい。ここはまるで壊れやすいペトリ皿。あらゆる要素が混ざり合い、愛し、称え、ときに傷つき、泡立ち、色と密度を変え続ける。それでもそのガラスの器は決して形を変えない。無学な人々は通りで缶をたたいて比類ない音楽を奏で、知識人たちはカフェや書店に集い、独自の地理や文化が織りなす芸術や文学について語り合う。町を歩くと甘いジャコウのような朽ち果てた香りが漂い、由緒ある建物の古い手すりの後ろで鉢植えを手入れする疲れ切った女性たちに出くわす。蒸し暑さと相まって、どこか昨日のバーボンのような「気怠さ」。それもまたこの町の魅力だ。
我が一行が宿をとった、ニューオーリンズ・ダウンタウン近くの「フォーバーグ・マリニー」は、19世紀初頭、クレオールの富豪でありながら奇人といわれたマリニーが川沿いのプランテーション跡地を開発し分譲した地区とされる。一方、川から離れた「ニュー・マリニー」は白人クレオールたちがめかけとその子息のために住居を建てた地区として知られる
レンタカーを走らせミシシッピ川沿いを北上。ルイジアナ州都バトンルージュで昼食後、ミシシッピ州ナチェズ市を訪れた。ここには、19世紀半ば奴隷を使って綿花やトウモロコシを栽培していたた南部農園経営者の奴隷小屋付き大邸宅が多く残り、当時の人種差別や貧富の差を否応なく突き付けてくる。
ニューオーリンズのフレンチクオーターの川沿いにある水族館で昼寝する、珍しい白ワニ
その始まりを1791年にさかのぼるアメリカ最古の市場として知られるニューオーリンズのフレンチマーケットには、地元の食べ物屋や、土産になりそうな楽しい品々が並ぶ
道中、たまたま知り合って同行したシアトル在住の2人のうちの1人は、バトンルージュに住んでいた当時、1992年のハロウィーンに起きた「日本人留学生射殺事件」の加害者と直接話したことがあるという。アメリカに憧れ、ジョン・トラボルタに扮し胸を躍らせていたであろう16歳の少年。警告した英語をそれと理解できなかったのかもしれない被害者に脅威を感じて発砲した当時30歳の男性。2022年3月に自殺したという当時被害者に同行していた少年。彼らの心中に思いをはせると、人の世は一瞬先に果たして何が待っているかわからなくなる。
レンチクオーターの現存する最古の建物の一つ「ラフィットの鍛冶屋」。1722年建造とされ、アメリカ最古の酒場ともいわれる
ハリケーン・カトリーナの被害を受けながらも営業を続け、地元の人々の支えとなった。コーンストーク・ホテル前のゲートとフェンスには珍しいトウモロコシ模様の装飾があしらわれている
ミシシッピ川を眺めてふと、かつてシアトルのフィフス・アベニュー・シアターで観たミュージカル「ショーボート」を思い出した。黒人荷役のジョーが、自由を奪われながらもなお、悠然と流れるミシシッピ川のようにありたいと歌う。「オールマン・リバー」の旋律と共に、人生を川に重ねる姿が心に残る。
ニューオーリンズのシンボル的存在であるセントルイス大聖堂。3代目にあたる現在の聖堂は1794年に完成し、現存するアメリカ最古の司教座聖堂とされている
人生とは川のようなもの。ときにゆったりと穏やかで、かと思うと浅すぎて航行困難になったり、洪水になり濁ったり。またあるときは澄みきって美しい。だた、それでも川は流れ続ける。
「知らず知らず 歩いて来た細く長いこの道……ああ川の流れのように」美空ひばりの歌が、心に静かに流れ出す。次に自分が足を踏み入れる川はどんな流れをたたえているのだろうか。旅はしばしば、普段忘れていた「流れ」の存在を思い出させてくれる。
武田 彰
滋賀県生まれの団塊世代。京都産業大学卒業後日本を脱出。ヨーロッパで半年間過ごした後シアトルに。在シアトル日本国総領事館に現地職員として39年間勤務。政治経済や広報文化などの分野で活躍。ワシントン大学で英語文学士号、シアトル大学でESL教師の資格を取得。2013年10月定年退職。趣味はピックルボールと社交ダンス。