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マスク作りのボランティア団結成

マスク作りのボランティア団結成

 

ジェームズの娘夫婦家族がコラージュ写真や絵などジェームズの68歳の誕生祝いと共にN95マスク食料も届けてくれた

新型コロナウイルスにより、3月半ばには「シニアは家から出ないように」と政府からお達しが。ひとり暮らしはつらいので、相棒のジェームズと助け合うべく、わが家で閉じこもる共同生活が始まった。1973年の石油危機以来の物資不足。当時、ギリシャにいた私は「船着き場でプロパンガスの支給を待ったものだ」と昔を思い出す。

ジェームズ作成のマスク第1号質が良く周囲で働く人にもプレゼントすると売ってくれないかと言われたほど病院が優先と販売は断った

ジェームズの娘夫婦が早いうちに買って分けてくれたN95マスクを着用し、買い物や散歩に出かける新たなルーティンに慣れた頃、ピックルボール仲間のWhatsAppを使った助け合いグループで、マスク作りのボランティアが募集された。仲間の産婦人科医が勤務する病院でN95マスクが配給制となり、長持ちさせるために、上から被せて使える保護用のマスクを作って欲しいと言うのだ。

ピックルボールも社交ダンスもできなくなり、時間を持て余していたジェームズがすぐに手を挙げた。生地やゴム紐、マスクの鼻部分に挿入するワイヤーなど材料も翌日には集まった。市内の大手生地屋も、こんな時だからとマスク用生地を割引販売している。

ダイニングルームの半分を使い古いミシンで急きょ始めたマスク作り使いやすい最新ミシンを導入しジェームズもさらに気炎をあげる

手先の器用なジェームズは、私が30年前に元同僚から譲り受けた古いミシンを使い、第1号マスクを早々と完成させた。数日後には、私を含め有志数人が資金を出し合い、近所の専門店で最新ミシンを購入し、ジェームズにあてがわれることに。ボランティア縫い子3名が朝から夜中まで、マスクほか帽子とガウン作りに励む。

PPE作りのボランティアに駆り出されたジェームズの社交ダンス仲間によりガウン第1号が完成

さすがにガウンは素人には難しいが、ジェームズの社交ダンス仲間で最近まで繕い業をしていた韓国系女性にボランティアを頼めた。さすがプロだけあり、縫い目も完璧。4月末までにマスク300枚、帽子50点、ガウン10着ほどが近所の病院に寄付された。不器用、というよりおそらく怠惰な私は、それでも何か手伝わなければと食事担当を引き受ける。これぞ「銃後の守り」?

4月に入り、カナダのPPE(医療用防護具)不足はますます深刻化。さらなるマスク作りの必要性を覚悟させられた。前述のガウン作りボランティアの女性には頭が下がる。材料を持参した折にわかったのだが、古いアパートの小さなワンルームに住むにもかかわらず、広いスペースが必要とされる作業を快く引き受けてくれた。

徒歩圏内に住むボランティア仲間が近所の路上でソーシャルディスタンシングを守りつつPPE完成品とその材料を交換

疲れと戦いながらガウンと帽子を10点ずつ、わずか4日間で仕上げた。他人のために無償で懸命に働く高い志は、有事にこそ求められるように思う。マスク買い占め問題で諸外国やマスコミから叩かれている米国とは大きな違いだ。

頑張り屋のジェームズはマスクが入手できない友人住居ビルの管理者や清掃員郵便局員などにも余分に作ったマスクを配り小さいながらも人助け

このパンデミックは、人類の過大消費による環境破壊の産物で、将来起こる破滅的な出来事の前触れに過ぎず、人口も消費も現在の半分に抑えなければ人類滅亡は避けられないと警告する記事を目にした。多くのシニアを死に追いやるこの病は自然の理にかなっているのか。さて、コロナ騒ぎのおかげで最小限の活動を余儀なくされた私は、生きるには何が必要か気付く機会を得られたようだ。

仲間の有志から寄付された生地を使って美しいマスクが次々に作られた
滋賀県生まれの団塊世代。京都産業大学卒業後日本を脱出。ヨーロッパで半年間過ごした後シアトルに。在シアトル日本国総領事館に現地職員として39年間勤務。政治経済や広報文化などの分野で活躍。ワシントン大学で英語文学士号、シアトル大学でESL教師の資格を取得。2013年10月定年退職。趣味はピックルボールと社交ダンス。