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むつ市国際交流コーディネーター:エイミー・ヤマミチさん ~日本で活躍するワシントン州出身のアメリカ人~

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エイミー ヤマミチさんは 1986 年ワシント・ン州エベレット市生まれ。「祖父が海軍で香港に駐屯していたことがあり、幼い時から家の中に中国のものがたくさんあったんです。家族そろって中華料理をよく食べに行ったし、シアトルのインターナショナルディストリクトにもよく行きました。そういう環境で育ったので、アジアに対して違和感を感じなかったのだと思います」と言う。
6 歳の時にアニメ映画『となりのトトロ』を見たのがきっかけで、それまでアジアに対して抱いていた興味が、徐々に日本に絞られていった。小学校時代は忍者が好きなお兄さんと一緒に、セーラームーンやドラゴンボールの TV アニメを楽しんだそうだ。合気道や空手を習っていたお兄さんの影響があってか、最初に学んだ日本語は「気合」。
中学生になるとアニメ熱はさらに強まり、英語字幕付きのアニメを借りてよく見たという。高校に入学する頃には外国語を勉強するなら中国語か日本語と気持ちは固まっていたが、中国語は漢字だらけだったので、日本語の方かやさしいかなと思ったそうだ。

高校在学中にランニングスタート・プログラム(高校 11、 年生で高等教育機関の単位12取得可能なプログラム)でコミュニティーカレッジに通い、日本語の授業を取った。当時の日本語の先生の影響で、もっと日本語を学びたいという気持ちにさせられたという。その後エドモンズの姉妹都市である愛知県碧南市との短期交換留学制度を利用して碧南市で2週間過ごした。それがさらなるモチベーションとなり、エイミーさんの日本語に対する情熱は不動のものになった。

日本語の勉強を中断したくないという一心で高校最後の年を飛び級して、オレゴン州のパシフィック大学に入学。同大学には名古屋学院大学に留学できる制度があり、エイミーさんは再び愛知県で 1 年を過ごすことになった。在学中に JET プログラムに申し込み、見事合格した。
2006 年 8 月、JET 国 際 関 係 コ ー デ ィ ネ ーターとして青森県むつ市に所在する青森県庁に着任した。日本人の友達はみんな名古屋にいたので、最初の頃は、雪に閉ざされた青森に来たことを残念に思ったが、国際関係コーディネーターの仕事内容に関しては青森県がベストな場所だったことがすぐ理解できたと言う。

「主な仕事は通訳、翻訳、そして学校を訪問してアメリカの話をすることに限られるんですが、私はこれらの業務の他にも、前例のない幅広い活動の場を与えられました。たとえば週に 1 度、 ラジオのエアータイムをもらって、自分のラジオ番組まで持てたんですよ! それに、む つ市とポートアンジェルスが姉妹都市提携を していたため、むつ市の中学生のグループに付き添って毎年ワシントン州を訪れるチャン スもありました。いろいろな場所でスピーチ をさせてもらったり、アメリカ料理のクッキングを受け持ったり、ハロウィン、イースターなどアメリカのイベントも実施しました。ワインテ イスティング、陶器作り、ビール試飲会、慈善事業の企画や、県内の外国人 の サ ポ ー トな ど、ありとあらゆる仕事を自由にさせてもらえたんです。」

soysource01_10pg11_07 JETプログラムの最長任期5 年が経過した後、日本人男性と結婚した。やがて男児を出産し、現在は子育てをしながら、むつ市役所で引き続き国際交流コーディネーターとして活躍している。

「私は日本で生活していくこ
とや外国語を使ってコミュニケーションを取るというチャレンジがあればあるほどやる気が出るタイプです。むつ市のように、みんながお互いを知っていて人間関係の絆が強い、小さい街の雰囲気もとても好きです。東京に行ったら日本語を話すアメリカ人は珍しくないかもしれませんが、ここではバイリンガルのスキルが重宝され、私にしかできない仕事ができるんです。もっとも、原子力や医学、地学の専門文書を翻訳しろと言われると、非常に苦痛ですけどね(笑)」soysource01_10pg11_10

今後の夢は「むつ市の素晴らしさを世界に向けて発信していきたい。ホームステイプログラムを充実させて世界中の人々にむつ市を訪れてもらい、日本の伝統的な風習文化に触れて欲しいんです。またむつ市民にとっても、外国からの訪問客が増えれば、英語でコミュニケーションする良いチャンスにもなります。個人的な夢としては、日本の各県を訪問してみたいですね。今のところ47都道府県のうち44を制覇しました。それが終わったら今度は世界の国々にも行ってみたい。それからもう一人子どもを産んで、バイリンガルに育てたいと願っています」