シアトル日本商工会(以下商工会)の2021年会長を務めるのは、大日本印刷株式会社(以下DNP)シアトル支局長の廣瀬 守さんです。コロナ下での同会の運営やシアトルでの業務について話を聞きました。
取材・文:室橋美佐 写真:本人提供
廣瀬 守■山梨県出身。1990年に大日本印刷株式会社(dnp.co.jp)に入社。同社の提携パートナーや出資先へ出向・駐在し、多数の新規事業の立ち上げに携わる。2008年に同社インターネット専門広告代理店部門を設立し、初代室長に。2011年から2019年までDNPソーシャルリンク株式会社(dnp-sociallinks.jp)代表取締役社長を務めた後、2019年5月から現職。2021年1月より、シアトル日本商工会(春秋会)(jbaseattle.org)会長に就任。
コロナ下で続ける日本人コミュニティーへのサポート
シアトルに拠点を置く日系企業が集まり、1960年に正式発足した商工会は、会員間の親睦や地域社会との交流の促進、シアトル日本語補習学校(以下補習学校)の運営を通しての子女教育などを行うサポート組織だ。教育部会、交流部会、経済・文化部会を置いて活動をしている。2018年、廣瀬さんを代表にシアトル支局を設立したDNPは、同年に商工会へ入会。廣瀬さんは、すぐに教育部会に所属して部会理事と常任委員を務め、2021年の今年、会長に就任した。「前身の木曜会から発展し、2020年に創立60周年を迎えた商工会の歴史と伝統をつなぐために邁進したいです」と、廣瀬さんは会長としての責務について話す。
これまで、多くの商工会会員はシアトルの主な伝統産業である林業、漁業、また航空機産業や関連する重工業・研究機関・商社などの企業で、歴代会長もそうした企業から選ばれてきた。「私のようにマーケティング分野、IT分野での駐在員は珍しいのです。そんな中で今年度の会長に選ばれ、光栄に思います。シアトルの新しい流れを象徴しているとも言えるのかもしれません」と廣瀬さん。「シアトルは街のサイズもちょうど良く、とても住みやすい。これからさらに多くの日系企業がシアトルに進出するようになるとうれしいですね」
コロナ下で、商工会も対面イベントの予定が次々とキャンセルされている。「対面での親睦会が行えないのもそうですが、何よりも補習学校で対面授業ができないことは、やむを得ない状況とはいえ本当に心苦しいです。しかしこの状況だからこそ、必要な情報を会員企業やその社員と家族へ届けられるように努めていきます」と廣瀬さんは話す。パンデミックが始まった頃から、シアトルに暮らす日本人の生活に役立つ知識や、日米間の渡航に関連する情報などをメールでのニュースレターまたはオンライン・セミナーで積極的に発信してきた。7月には、アメリカ国内各都市の商工会や商工会議所と協力をして、全米日本商工会議所・商工会団体として新型コロナウイルス感染症(COVID-19)ポータル・サイトを立ち上げ、ワクチン接種、日本人医師がいる医療機関、また日本帰国についてなどの最新情報を日本語と英語で伝えている。
「補習学校は、9月からもオンライン授業の継続が決定しました。難しい環境ではありますが、できる限りの学習サポートを柏 隆校長や先生方と協力しながら提供していきたいと考えています。保護者の方々のご協力とご理解を引き続きお願いします」
新規事業立ち上げにおいて30年のキャリア
廣瀬さんが籍を置くDNPは明治9年の創業で、その印刷技術から派生したさまざまな領域に進出し、現在では世界最大規模の総合情報加工企業に成長している。国内外の拠点で、出版からマーケティング・セールスプロモーション、建築部材やエレクトロニクス部品の生産まで、「生活産業」をキーワードに多岐にわたる事業を展開。世界35拠点で約4.4万人の社員が働き、年間売り上げは1兆4,000億円を超える。廣瀬さんが入社した1990年代以降は、オンライン決済や情報セキュリティーなどの情報コミュニケーション分野にも裾野を広げている。
廣瀬さんは情報コミュニケーション事業部で、長らく広告マーケティング分野での新規事業開発に携わってきた。国内外の企業への出資や吸収合併も積極的に行い、子会社約140社、関連会社27社を持つDNP社ならではのキャリアと言えるかもしれない。「社内で何か新しいプロジェクトが立ち上がると出資先へ出向し、事業をまとめる役割を担ってきました。出向先は、総合広告代理店の東急エージェンシー、日本でサービス開始した当初のディレクTV、NECが展開するBIGLOBEなどがありました」。ディレクTV出向時には、DNPの自社チャンネル創設も指揮したそう。2008年に社内にインターネット広告代理部門を設立。2011年、オンライン・ポイントを活用したデジタル・マーケティング・サービスを提供する子会社、DNPソーシャルリンクの代表取締役に44歳の若さで就任し、シアトルへ移る直前まで同職を務めた。「言わば、デジタル・マーケティング分野の新規事業立ち上げ専門家といったところでしょうか(笑)」
シアトルで目指すもの
今、廣瀬さんはシアトルでどんな仕事を任されているのだろうか。「新規事業の発掘調査と事業開発をしています。会社全体の中期経営戦略の視点から、アメリカ市場の最新テクノロジーやサービスを調査したうえで、自社やクライアント企業の将来的な提携パートナー、または投資先になり得る企業を発掘し、具体的な新規事業につながるプロジェクトとして本社に持ち帰るのが任務です」。今年、来年をめどに結果を出して、その成果を日本へ持ち帰りたいのだと廣瀬さんは明かす。
具体化しそうな案件のひとつとしては、オンライン上の消費者の行動を学習して次の消費行動を推測するAI(人工知能)技術を持つ企業との提携がある。「個人のプライバシーの問題から、ここ数年でグーグルなどウェブ・ブラウザ大手各社がサードパーティー・クッキー(広告会社など表示中のサイト以外の第三者が、ブラウザに保存された小さなデータ片、Cookieの情報を活用すること)を廃止する流れになっています。デジタル広告の観点からすると、これは後退とも言える動きで、ユーザーの消費行動に基づく広告メッセージを送ることができなくなります。そこでサードパーティー・クッキーに代わるものとして注目されているのが、このAI技術です」と、廣瀬さんは説明する。すでに数社と実証実験の段階まで進んでおり、成功すれば具体的な提携案件につながる可能性がある。
「アマゾン・フレッシュでは手のひら認証、アメリカ国内線では顔認証などが使われるようになり、キャッシュレス、カードレス決済の分野でアメリカはとても進んでいます。また、こうした技術から取得されたデータを分析・解析することで、より消費者の利便性につながるパーソナル・レコメンデーションなどの高度なサービスも次々に生まれていて、今後も増え続けると思われます。こうしたトレンドは数年遅れて日本へ入りますので、今のうちにアメリカで技術を持つ企業と提携を結んでいきたいのです」
アメリカで働く醍醐味
なぜそうした技術がアメリカで生まれやすいのかと尋ねると、興味深い答えが返ってきた。「アメリカでは『アジャイル文化』が浸透しているのが大きいと思います。つまり、不完全なサービスでもまず市場に出して、ユーザーからの反応を受けながら修正をかけて、その過程を経てさらにより良いサービスへと昇華させていくことが許容される市場環境が出来上がっているんです。これは、スタートアップの技術が育ちやすい環境として大事な要素です。一方、日本では完璧なものとしてリリースしなくてはならず、少しでも間違いが見つかると、メディアや昨今ではSNSなどでたたかれてしまう。スタートアップの技術が育ちにくい一面があるのは否めません」
大学時代にカリフォルニア州でホームステイを経験して以来、アメリカが大好きだと言う廣瀬さん。「30年越しに、アメリカで仕事をする夢が実現しました。夢もちゃんと声に出して掲げていれば目標となり、いつか現実になるもの。DNPの仕事も商工会会長としての任務も、しっかりと有言実行していきたいですね」と、シアトル駐在での意気込みを伝えてくれた。プライベートではゴルフが趣味で、独学で学び、現在ではオフィシャル・ハンディ—キャップ7の腕前。「ゴルフは経営に似ています。状況に応じて『攻めと守り』のバランスを瞬時に判断するマネジメント能力に加え、コミュニケーション能力も求められます 。何より、プレーに人柄が出るスポーツです」と、自身のゴルフ論も。「人脈形成につながりますし、集中力と感性の強化、体調管理にも好影響。シアトルはゴルフ環境が良いので、ぜひ若い方に勧めたいですね」